庭は主張だ。

北のおっさんガーデナーが、偏った思考で気に入った植物だけを気が済むまで植えていく、そんな庭のお話。

妻がガーデニング好きじゃなくて本当に良かった。

園芸雑誌の「お庭拝見」的なコーナーを見ていると「夫婦で仲良く庭造りやってます」みたいな記事を目にするが、正直俺は「んなことあるかい」とつい突っ込んでしまうわけだ。

人の価値観など違っていて当たり前で、共有することすら困難。

当然作りたい庭のタイプはそれぞれ異なるはずで、お互いが一致することなどありえない。

庭づくりは戦争なのだ。

だからどちらかが「お手伝い」の立場ではなく、夫婦ともに主張を持った真のガーデナーだったら、結果は悲劇的なものになるだろう。

例えば、妻の希望は「宿根草メーンのイングリッシュガーデン」そして夫は「庭木中心の和風な庭」だったらどうだろう。

もうこうなると同じ「庭」であっても、全く似て非なるものだ。

玉木宏」と「玉置宏」くらいの違いがある。

こうして永遠に交わることのない平行線の膠着状態が続き、そして限りある敷地を奪い合う「夫婦間戦国時代」の幕開けだ。

 

解決する方法は2つ。

どちらかが完全に妥協して大工と土木仕事に専念し、相方が望むバーゴラなんかをひたすら作るか(当然夫だ)、もう一つはお互いのやりたい事の落とし所を探り、価値観の融合を図った、斬新でキテレツな庭を創造するかだ。

つまり玉木宏玉置宏の融合体を作る。

お互い良いとこ取りで「ロマンスグレーの男前」ができれば良いが、融合のさせ方を誤ると「かかとだけ若々しいお爺さん」みたいなとんでもないクリーチャーが産まれる可能性もある。

本当に恐ろしい。 

 

ちなみに俺の妻は、ガーデニングには全く興味がない。

ただ俺のガーデニングについては「素敵な趣味」として非常に肯定的で、応援してくれている。(ちなみに俺が苗の購入にいくら注ぎ込んでいるのかは知らない。最近は聞かれてもいないのに「200円で買えたんだよー」呼吸をするように自然に嘘をつくようになった)。

そんなこともあって俺はこの土地(妻名義だ)で自由にやりたい放題やらせてもらっているわけだ。

心から感謝。

だが、もし妻が俺のようなプランツマニアだったらどうだったのだろうか?しかも「日本人なら桜だろ」みたいな、とにかく隙間さえあれば何処にでも桜を植えたがる「町内会のおっさん的発想」で、訳のわからない持論を振りかざしてくるタイプだったら一体俺はどうしたら良いのか。

考えただけでも体が芯から冷えてくる。

あー妻がガーデニングに興味がなくて本当に良かった。

そして妻が本当に優しく穏やかな人で良かった。

しみじみと感じる今日この頃である。