庭は主張だ。

北のおっさんガーデナーが、偏った思考で気に入った植物だけを気が済むまで植えていく、そんな庭のお話。

シラネアオイが咲いた、でも俺は花のアップ画像は嫌いだ。

シラネアオイの白と紫が同時に咲いた。

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花が咲いたってことで、こんなベタな感じでブログを書いているわけだが、本来俺はそういうタイプの人間ではない。

俺が植物に対し最も重要視し関心を持っているのは全体のフォルムであり、花などは「おまけ」に過ぎないのだ。

例えると、花は顔にある「ホクロ」のようなもの。

重要なものではないが、その人の印象を決める上で何気に象徴的な役割を担う場合もある。

口元にあれば色っぽい印象を与えるし、おでこにあれば「沢田さんのホクロ」を思い出しなんだか少し悲しくなるし。

しかし「ホクロ」はあくまで顔があっての「ホクロ」であり、「ホクロ単体」ではなんの個性も魅力も感じないわけだ。

 しかし世間は植物に対し「花」という部分に重点を置きすぎている。

そして世の中は「花」のアップ画像で溢れかえっている。

もっと引いて観察しないと本来の魅力が伝わらないのではないだろうか。

俺は花のアップ画像だけ見せられても、顔の「ホクロ」だけを凝視しているようで、何だかよくわからないし、退屈な気分になってしまう。

中には雄しべや雌しべまでくっきり見える物もあって、卑猥なことこの上ないではないか。

 

 例えば下の画像は、俺の大好きなエゾニュウ。

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全体画像があった上での、この「花画像」なら理解できるのだが、これだけ見せられてもエゾニュウの素晴らしい部分、その形態的特徴や醸し出すオーラなど、全く垣間見れない。

これは「やっぱり植物と言えば花でしょ」タイプの人間が撮影した画像だ。

上のシラネアオイ画像も花のアップだけだったら、100人中97人くらいは「あー綺麗な花ね、これはパンジーかなんかでしょ?」と言ってなんの興味も持たないだろう。

やはり全体のフォルムの中で、花がどんなバランスでそこに存在しているかが重要なのだと俺は思うわけだ。

「花アップ画像派」な方たち、気を悪くしたらごめんなさい。